国指定重要文化財 大野山本遠寺(山梨県・身延町)本堂・鐘楼堂 シロアリ駆除及び木材保存工事
江戸時代初期、徳川幕府による身延山への弾圧 ── 「慶長の法難」後の慶長13(1608)年12月、身延山第22世法主(ほっす)心性院日遠(にちおん)上人により開山、徳川家康公の側室・養珠院お万の方によって開基された日蓮宗の別格本山(由緒寺院)。宗義の本門寿量から『本』、日遠上人の『遠』を取って『本遠寺』と称しますが、俗に『お万さまの寺』と呼ばれ、親しまれています。 慶長の法難後、日遠上人への帰依強く、七面山の女人禁制を解いた事でも知られるお万の方の縁により、長男・紀州大納言頼宣(よりのぶ)公、次男・水戸中納言頼房(よりふさ)公らによって一大堂塔伽藍が寄進され、三代将軍家光公も正保3(1646)年、寺領260余石を給付、別格本山の待遇を得て発展しました。 本遠寺には、国指定重要文化財の本堂・鐘楼堂、山梨県指定文化財の七面示現(じげん)日蓮大聖人絵像、身延町指定文化財の大楠(くすのき)をはじめ、日蓮大聖人より歴代諸上人の真筆・遺品、紀州頼宣公の写経、本阿弥光悦の納書等、多くの貴重な寺宝が収蔵されており、かつての隆盛ぶりが偲ばれます |
鐘楼堂 |
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